牛久保六騎の真木氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/21 06:41 UTC 版)
三河国宝飯郡中條郷鍛冶村の土豪真木氏は、同じ中條郷の牧野村発祥という三河牧野氏が文明年間に近隣の長山村(古名、常荒/とこさぶ)にあった一色城に入城し元・三河守護職一色氏の一族・一色時家にかわり、勢力を及ぼすとこれに属し寄騎の武将となったとされる。牧野氏の寄騎には宝飯郡内および近隣地域の有力土豪のほか牧野氏所縁の武将も加わったが、永正年間には戦国大名今川氏の勢力下に属して、牧野氏を盟主とする牛久保六騎もしくは牧野組と呼ばれる軍団に編成され、真木氏もその構成員になった。この牛久保六騎の真木氏とされる真木越中守およびその一族に関する文書・記録が存在する。 牛窪記は「真木ト岩瀬ハ旧主ノ義理ヲ重ジ」と記述するなど、真木氏は、戦国大名・今川氏との関係が深かったことを窺わせるほか、1565年(永禄8年)発給の吉田城 (三河国)兵糧米の証文にも真木越中守が見える。この当時の吉田城は、実質的には今川氏の三河国経営のための城であった。 真木越中守を称した家系は、牧野氏の発展と共にあったが、牧野氏が徳川派(松平派)と、今川派に分裂するに及び、今川派の牧野保成等の今川派牧野氏と共に行動をして、松平清康や、徳川家康に頑強に抵抗したため、特に戦国末期から近世にかけて凋落したが、家康の降伏の勧めに応じて追放や蟄居は免れた。やがて支配階級にあったその一族の多くは、譜代大名となった牧野氏によって家臣団化された。
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