熊野新宮寺一切経
主名称: | 熊野新宮寺一切経 |
指定番号: | 2425 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1987.06.06(昭和62.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 2568巻 |
時代区分: | 平安~鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 宮城県名取市の熊野新宮寺に伝来した平安・鎌倉時代の書写一切経である。現存する二千五百六十八巻のうち、平安時代後期の写経約一千巻、鎌倉時代の写経一千五百巻余である。 平安時代後期の写経は出羽国慈恩寺の一切経を中心とするもので、大仏名経には慈恩寺の一切経印が捺されており、また大智度論巻第一百には養和二年(一一八二)の出羽国慈恩寺定秀瀧城房の書写奥書がある。そのほかこの時期の写経の中には書写・校訂にあった僧として山城国源鏡、和州蓮忍など、京都周辺の僧の名が見えるものがあり、これらの写経も慈恩寺一切経の書写事業の一環のものと推定され、その書写事業のあり方を考える上で注目される。また、平安時代後期写経の中には底本とした北宋蜀版の刊記を書写したものがあるのも貴重である。 鎌倉時代の写経は、安貞三年(寛喜元年、一二二九)、寛喜二年の奥書のあるものをはじめとして鎌倉時代中期に、名取熊野新宮寺を中心として、ほぼ統一した料紙に書写されたものである。鎌倉時代写経には平安時代写経と経巻の重複するものがほとんどないので、鎌倉時代の新宮寺一切経の書写事業は、その開始にあたって集められた慈恩寺一切経を中心とする平安時代写経をもとにして、それを補う形で書写を行い、一切経を整えたものであったと考えられる。奥書には、この時期の書写者として二十一名、校訂者として十五名の僧の名が見え、これらの僧が分担して書写、校訂にあたった大規模な書写事業であったことを伝えている。またその中には慈恩寺や陸奥国分寺など周辺各地で助筆が行われたことを示す奥書もあり注目される。 この熊野新宮寺一切経は、平安時代後期の慈恩寺一切経、鎌倉時代の新宮寺一切経の二つの一切経書写の事業を伝えて、平安・鎌倉時代の東北地方の歴史を知る上で貴重である。 |
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