焼津港の徴用船数と犠牲被害数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 17:34 UTC 版)
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詳細な数は不明だが、民家などに保存されていた資料などを合わせると、 1937年 4隻 1938年 20隻 1939年 不明 1940年 18隻 1941年 22隻 (沈没船:1隻 戦死者:3人) 1942年 7隻 (沈没船:2隻 戦死者:7人) 1943年 15隻 (沈没船:3隻 戦死者:54人) 1944年 23隻 (沈没船:31隻 戦死者:170人) 1945年 8隻 (沈没船:22隻 戦死者:164人) わかっているだけでも、合計、113隻が徴用され、59隻が沈没、犠牲者は 401人にのぼった。この他に、1945年、沿岸で操業中の焼津漁船 7隻が米軍機の攻撃を受け、18人が死亡、9人の負傷者が出た。また、港に係留中の船が空襲に遭い、多くの船が炎上、沈没したという。詳細な内訳は付表を参照。
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