焼津第五福竜丸被爆事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:09 UTC 版)
日本の組織的反核運動は、焼津の漁船第五福竜丸の被爆(1954年3月1日)によって、東京都杉並区の主婦たちから運動から始まった。焼津の漁船が水爆実験によって被爆したことによって、放射能による死(久保山愛吉)や、放射能に汚染された魚介類に伴う風評被害などが発生したことが動機である。 1955年8月6日に広島で行われた第1回原水爆禁止世界大会(鳩山一郎首相祝辞)の準備委員会における被爆者を中心とする国民運動が元となって、同年9月1日に広島市長らを中心に原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足した。原水協の基本方針は「あらゆる国のあらゆる核に反対する、ただ一点での結集」であった。
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