烏山頭ダムに設置された銅像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 07:04 UTC 版)
「八田與一」の記事における「烏山頭ダムに設置された銅像」の解説
烏山頭ダム傍にある八田の銅像は、ダム完成後の1931年(昭和6年)に作られたものである。住民の民意と周囲からの意見で出来上がったユニークな銅像は、像設置を固辞していた八田本人の意向を汲み、一般的な威圧姿勢の立像を諦め、工事中に見かけられた八田が困難に一人熟考し苦悩する様子を模し、碑文や台座は無く地面に直接設置され、同年7月8日、八田立会いのもと除幕式が行われている。 その後、国家総動員法に基づく金属類回収令により供出された際に行方不明となった。後年発見され、もとの場所に戻されたが、1949年以降の中華民国の蔣介石時代には大日本帝国の残した建築物や顕彰碑の破壊がなされたため再び撤去され、1981年1月1日、再びダムを見下ろす元の場所に設置された。 2017年4月16日朝、銅像の首から上が切断されているのをダム関係者が発見し、警察に通報した。犯人は中華統一促進党に所属し、以前新党の市議会議員として台北市議会議員を務めた李承龍(中国語版)で、翌4月17日に警察へ出頭した。同時期に台湾各所で頻発していた蔣介石像に対する悪戯への反発心が八田に向けられたとされている。台南市政府からは、八田の命日である5月8日までに銅像を修復する意向が示され、浜野像復活でも尽力した許文龍が奇美博物館で保管していたレプリカを用いて修復された。 詳細は「八田與一銅像破壊事件(中国語版)」を参照
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