港第二発電所建設
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1940年1月30日、九州火力発電は軍需大臣より「港第二発電所」の建設許可を得た。5万4000キロワット発電機を据え付ける第1期工事は戦時下で着工され、工事中に日本発送電が継承。労力・資材不足の中で建設が中断された築上発電所の資材・人員を回して工事を進めるが、完成間際となったところで1945年7月27日の空襲に遭い重要機器や資材を焼損して打撃を受けた。戦後の1947年(昭和22年)7月12日にようやく竣工し、港第二発電所は認可出力2万キロワットで同年8月21日より運転を開始した。 運転開始時はボイラー1缶のみの設置であったため、戦後の電力不足対策として突貫工事でボイラーを1缶増設し、1948年(昭和23年)11月2日に認可出力を5万4000キロワットへと引き上げた。さらに第2期工事として同じく5万4000キロワット発電機1台の増設を計画、1950年(昭和25年)6月より着工した。 1951年(昭和26年)5月1日、電気事業再編成により九州電力株式会社が発足。港第一発電所は認可出力11万6000キロワットで、港第二発電所は認可出力5万4000キロワットでそれぞれ日本発送電から九州電力に継承された。その後港第二発電所第2期工事が同年9月25日に竣工し、同発電所の出力は10万8000キロワットとなった。
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