渡党・アイヌの狩猟など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:18 UTC 版)
「義経=ジンギスカン説」の記事における「渡党・アイヌの狩猟など」の解説
この頃から齎されたといわれる、蝦夷産の昆布は現在も京料理に使用されている。藤原氏の北方貿易とは別に、渡党らがアイヌと和人との仲介役を果たし、交易の民として活躍した。そのアイヌにとって狩猟は、縄文時代・続縄文時代以来の長い年月を有する生業であり、7世紀にはじまる擦文文化期の遺跡ではアワ・オオムギ・ヒエ・ソバなどの出土例がある。海獣の捕獲などについてはむしろ和人の側がアイヌ文化の影響を受けた可能性が高い。和人が蝦夷進出をするに従い、半ば強制的に義経とアイヌ神話を和人が結び付けた。和人の蝦夷進出は1669年から翌年にかけておこったシャクシャインの戦いなどを引き起し、アイヌ人との摩擦も大きかった。西廻り航路などの海運網の整備によって、蝦夷地を含めて国内市場、一国市場が形成された。とくに、江戸時代中期以降は、昆布や俵物など蝦夷地の産品が江戸や大坂、京に輸出された。それらにより北方への関心が高まったが、徳川光圀が蝦夷探検隊を派遣した例でも判るように、まだ日本人にとって蝦夷、樺太、千島列島はまだ謎の多い土地であった。
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