海軍提督クラーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/16 18:57 UTC 版)
ブレストで、海軍軍医官の子として生まれる。本名はジャン・エミール・ポール・クラーズ(Jean Émile Paul Cras)。1896年、17歳でフランス海軍士官候補生(midshipman cadet)となって軍艦イフィジェニー号に乗組み、アメリカ大陸、西インド諸島、セネガルで実戦に参加した。 1908年に海軍大尉(Lieutenant)に任官。数学の素養に優れたクラーズは海軍に技術面で貢献し、特に、クラークの発明した電気切替器と航海用作図器(クラーズの名が冠されている)は、フランス海軍に制式採用された。 1914年に第一次世界大戦が勃発すると、クラーズはオーギュスタン・ブエ・ド・ラペレール(英語版)提督の副官を務め、その後は対潜部隊に勤務した。1916年には、魚雷艇コマンダン・ボリー号の艇長となった。アドリア海で敵潜水艦を撃沈する武功を挙げ、また、海中に転落した水兵を危険を省みずに救出して称賛された。 大戦後は、海軍軍令部先任副官(Chief Secretary to the Chief of General Staff)となり、海軍中佐に進級した。いくつかの軍艦に勤務した後、海軍技術研究所首席部員(Service Chief on the General Staff for Scientific Research)を務めた。1931年には海軍少将に進級してブレスト港次席指揮官(Major General of the Port of Brest)に就任したが、在職中に病没した。
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