海軍提督として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 08:25 UTC 版)
「フランシス・ドレーク」の記事における「海軍提督として」の解説
1581年、プリマスの市長に選ばれる。しかし、スペインとの国交悪化から再び海に戻り、スペイン領への攻撃を率いる。 1585年、エリザベス・シデナム(Elizabeth Sydenham)と再婚した。同年から翌1586年にかけてはスペイン領アメリカへの大規模遠征を指揮し、サンティアゴ島(英語版)・サントドミンゴ(英語版)・カルタヘナ・デ・インディアス等の要地を一時掌握。セントオーガスティンを襲撃(英語版)した後、1586年7月22日にポーツマスへ帰港した。 1587年、カディスでスペイン船を襲撃。港を3日間占領。 1588年のアルマダの海戦ではイギリス艦隊副司令官に任命されたが、実際に艦隊の指揮を執っていたのはドレークだった。火のついた船を敵艦隊に送り込むという海賊らしい戦法により、スペイン艦隊を壊滅させる。
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