海清僧堂師家時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 06:23 UTC 版)
1943年(昭和18年)には西宮海清寺の住職になる。翌年1944年(昭和19年)には得度師匠の瑞林寺大崎文渓が遷化した。海清寺は妙心寺派の寺院で開山は妙心寺開山の無相大師から唯一人その法を嗣いだ、授翁宗弼禅師の法嗣で妙心寺三世の無因宗因禅師という名刹。そして明治の終わり、瑞岡淡海と南天棒・中原鄧州のときに僧堂が開単されたが、1925年(大正14年)には中原鄧州の遷化とともに僧堂は閉単されてしまっていた。そこで春見文勝は、1949年(昭和24年)に海清寺を専門道場として再開単したのである。1954年(昭和29年)には海清寺の本堂を改築する。そしてこの年には師匠の井沢寛州が遷化。1972年(昭和47年)には海清寺に五階建ての楠会館を新築した。当時の時代としては近代的な寺の建物であった。1975年(昭和50年)には三階建ての坐禅堂を新築した。そして驚くべきことは、海清僧堂師家として1949年(昭和24年)から1998年(平成10年)の間、ほぼ半世紀50年の長い間、就任していた事実である。
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