海上保安庁時代とは? わかりやすく解説

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海上保安庁時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 05:47 UTC 版)

桑栄丸」の記事における「海上保安庁時代」の解説

1948年昭和23年1月1日復員庁が廃庁となり掃海業務運輸省移管され、桑栄丸栄昌とともに運輸省移管された。同年5月1日海上保安庁開設され掃海業務も同庁に移管された。両船の所属海上保安庁移管されることとなり、昭和23年11月15日、呉掃海部所となった栄昌丸はMS-31、桑栄丸はMS-32の番号与えられた。船首船名番号標記し、さらに船橋前面には注意喚起のため「掃海船」と表記していた。1949年昭和24年11月29日栄昌丸が試航任務解除され、ただ1隻残った桑栄丸引き続き全国各地航路啓開任務従事した1950年昭和25年3月昭和天皇四国行幸された際、帰路3月31日御召船「山水丸」に乗船された天皇は呉、下関掃海部の掃海船隊を非公式ながら親閲された。この日、海上かなりの時化であったが、桑栄丸先頭船として31隻の掃海船率いて航する山水丸に乗船された天皇親閲受けた昭和25年6月1日海上保安庁航路啓開本部設置され横須賀、呉、大阪など全国9ヵ所に航路啓開部が置かれた。桑栄丸同日付で呉航路啓開部所となった7月から日本海側航路港湾試航任務従事したが、8月台風により、秋田県船川港座礁してしまった。修理経て1951年昭和26年4月極東米海軍要請朝鮮水域試航任務派遣され釜山仁川など各地試航任務従事した

※この「海上保安庁時代」の解説は、「桑栄丸」の解説の一部です。
「海上保安庁時代」を含む「桑栄丸」の記事については、「桑栄丸」の概要を参照ください。

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