浄法寺五郎とは? わかりやすく解説

浄法寺五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 19:40 UTC 版)

浄法寺五郎

浄法寺 五郎(じょうほうじ ごろう、1865年5月22日(慶応元年4月28日[1]) - 1938年昭和13年)1月20日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

下野国(現栃木県)出身[1][2]1887年(明治20年)7月[3]陸軍士官学校(旧9期)を卒業し歩兵少尉に任官[1][2]1892年(明治25年)12月、陸軍大学校に入学するが、日清戦争開戦のため1894年(明治27年)7月に中退[4]。戦後、1896年(明治29年)2月、陸大に復校し、1897年(明治30年)12月、陸大(11期)を優等で卒業した[1][4]参謀本部に配属[4]ドイツ駐在を経験した[2][4]

1904年(明治37年)2月、オーストリア公使館付武官となる[2]1905年(明治38年)12月、参謀本部付に転じ、陸大教官に異動[2]1907年(明治40年)11月、歩兵大佐に昇進し第17師団参謀長に着任[2]

1910年(明治43年)7月、第1師団参謀長に移る[5]1912年(明治45年)4月、陸軍少将に進級し歩兵第29旅団長となる[1][2]青島の戦いに参戦[1]1914年(大正3年)11月、青島守備軍参謀長[1][2]1915年(大正4年)7月、歩兵第10旅団長に移り、1916年(大正5年)3月、近衛歩兵第2旅団長に就任[1][2]

1917年(大正6年)8月、陸軍中将に進み陸大校長に着任[1][2]1919年(大正8年)4月、第20師団長に親補された[1][2]1922年(大正11年)2月に待命、同年5月、予備役に編入された[1][2]

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本陸軍将官辞典』382頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』78-79頁。
  3. ^ 『市ヶ谷台に学んだ人々』20頁。
  4. ^ a b c d 『日本陸海軍総合事典』第2版、548頁。
  5. ^ 『官報』第8110号、明治43年7月5日。
  6. ^ 『官報』第2193号「叙任及辞令」1890年10月20日。
  7. ^ 『官報』第2571号「叙任及辞令」1892年1月28日。
  8. ^ 『官報』第5619号「叙任及辞令」1902年4月1日。
  9. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  10. ^ 『官報』第8702号「叙任及辞令」1912年6月22日。
  11. ^ 『官報』第2106号「叙任及辞令」1919年8月12日。
  12. ^ 『官報』第5613号「叙任及辞令」1902年3月25日。
  13. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  14. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月8日。
  15. ^ 『官報』第1067号「叙任及辞令」1916年2月24日。
  16. ^ 『官報』第2903号「叙任及辞令」1922年4月10日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 桑原嶽『市ヶ谷台に学んだ人々』文京出版、2000年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




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