流名の由来と変遷とは? わかりやすく解説

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流名の由来と変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 17:25 UTC 版)

玉川遠州流」の記事における「流名の由来と変遷」の解説

初代遠州流大森家茶道】⇒5代玉川遠州流 たまがわ えんしゅうりゅう】⇒8代玉川遠州流 ぎょくせん えんしゅうりゅう初代大森秀祐は、43年上文人で、徳川家康直臣であった石川丈山漢学学んで、【漸斎】の号を賜る。【漸斎】は、陸羽の字(あざな)の漸(こうぜん)に基づく。初代大森漸斎は、徳川家光茶道指南役小堀遠州小堀政一)の門に入り武家茶礼を学ぶ。 遠州公の風を【遠州流大森家茶道】、【遠州公御流大森家茶道】として京都地方流布する初代大森漸斎は、石川丈山漢学学びたい28歳年下霊元上皇(第112天皇)とのつながりから、上皇匠となる。霊元上皇の命で自作の竹二重切花入を献上し上皇から【玉川】の号を贈られる以降江戸時代書は、初代大森玉川記載する2代大森信によって、当流は、閑院宮家公家茶道として発展する閑院宮家六位倉光日向守4代大森宗震によって、当流は、さらに有栖川宮家茶道として発展する1886年明治19年)、5代大森宗龍は、初代大森玉川たまがわ)の号を冠した玉川たまがわ遠州流】に改める。 1971年昭和46年)、8代大森宗晋は、初代大森玉川ぎょくせん)の号を冠した玉川ぎょくせん遠州流】に改める。 改めた理由は、霊元上皇から贈られた号の玉川は、歌枕うたまくら和歌引証される地名のこと)の玉川たまがわではなく中国時代詩人 玉川子(ぎょくせんし)盧仝の号に基づくからである。

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