流刑と弘法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 08:26 UTC 版)
仏教に批判的なツェ・ポン・ザ王妃と大臣たちの悪意と権力によって、ティソン王は遺憾に思いながらも、ヴァイローツァナをチベットと中国の国境近くのギャルモ・ツァワ・ロン地方への流刑に処した。ヴァイローツァナは、流刑先のギャルモ・ツァワ・ロンの王、大臣、住民に法を説き、仏教に改宗させた。 ギャルモ・ツァワ・ロンのユダ・ニンポ王子は、インドへの求法の旅に同行したツァン地方出身の僧レグトゥブの生まれ変わりだったが、彼はヴァイローツァナの一番弟子となり、成就したラマにして、名高い大学僧となった。ユダ・ニンポは、その後、サムイェー僧院を訪れ、ヴィマラミトラと逢った。 ヴィマラ・ミトラの要請に従って、ティソン・デツェン王はヴァイローツァナを都へ呼び戻した。都への道中、ヴァイローツァナは85歳の老人、パン・ミパム・ゴンポに出逢い、教えを与えた。老人は高齢のため、瞑想の姿勢で座ることが困難だったため、瞑想帯と瞑想杖を使ってゾクチェンの瞑想に励み、速やかにゾクチェンの究極の覚りである「ジャ・リュ」と呼ばれる、虹の身体を達成した。パン・ミパム・ゴンポは、ユダ・ニンポ、ニャグ・ジュナーナクマーラ、リ地方出身のシェラプ・ドルマらとともに、ヴァイローツァナの主要な弟子となった。 ヴァイローツァナは都に戻ると、教えの伝授と翻訳活動を続けた。
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