活動盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 15:25 UTC 版)
スコモローフは社会的には多様な民衆層からなっていた。その多くは無宿の漂泊者であり、演奏や演技を生業として町や村を転々とした。一方で都市に定住する者もあり、別に生計を立てながら楽師を務めて副収入を得る者や、単に道楽として興じる者もあった。初期には、主として諸侯・貴族の宮殿や屋敷で養われて演技していたスコモローフは、数を増すとともに活動範囲を広げ、民衆や農民に近づいていった。彼らは、民衆の娯楽の集いや商業都市の広場、同業者仲間の宴会、身内の集まりなどの場で芸を披露するようになった。 13世紀から15世紀にかけての「タタールのくびき」の時代にモンゴル軍の襲撃を受けなかったノヴゴロドでは、スコモローフの芸術水準はとくに高まった。ノヴゴロドでは、教会がスコモローフに対して比較的寛容な立場を取り、キエフ・ルーシやモスクワ・ルーシに見られたような厳しい弾圧を加えなかったこともあって、暴露的な風刺文学のジャンルも発達した。こうしたなかで、『鳴れ、私のヴォリンカ』、『ヴィヴァーロ』といった音楽風刺の文献が見つかっている。
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