沼津・香貫山の月光天文台
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「月光天文台」の記事における「沼津・香貫山の月光天文台」の解説
1957年9月21日、三五教は沼津市香貫山に、城郭を模した外観を持つ「三五中央天文台」を開設、山本が初代台長となった(1958年1月に「月光天文台」に改名。「香貫山天文台」の語も用いられた)。このほか、三五教は1960年代前半にかけて日本各地に天文台を建設している。三五教は天文を扱う傘下組織として国際天文協会を1957年に設立し、天文台ネットワークもその下で運営された(1961年に国際文化交友会が発足すると天文台の運営も移管された)。 香貫山の天文台建設では、資金と信者の奉仕的労働力を有し教義の確立を目指す三五教、天文普及と公開天文台の建設を目指す山本、香貫山の開発と文化の底上げ・地域振興を目指す沼津市の三者の利益が一致した。しかし、開設に前後して沼津市議会では市が宗教団体に利益を提供することをめぐる問題などが紛糾。山本は1958年末ごろに三五教と袂を分かって天文台を去り、間もなく死去する。また、教団の財政問題も生じたようである。最終的に、香貫山の天文台は1973年6月に撤去された。
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