汎経験説
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汎経験説とは、現象的意識・クオリアといった心的経験が、脳や神経細胞といった巨視的なスケールではじめて生まれるのでなく、もっと根本的なレベルにおいて、すでに何らかの形で存在しているはずだ、という考えのこと。すなわちクォークやレプトンといった、物理現象の基本構成要素自体に、現象的意識やクオリアの元となる何らかの性質(原意識)が含まれているのではないか、とする説。こうした汎経験説は、1990年代ごろから集中的に議論されるようになり、現在、心の哲学を中心にその詳細が議論されている。代表的な論者にデイヴィッド・チャーマーズ、ガレン・ストローソン(Galen Strawson)などがいる。歴史的にはこうした考え方(世界を構成する基本要素として心的な性質が遍く存在しているという考え方)は別に真新しいものではなく、例えば17世紀後半のドイツの数学者ゴットフリート・ライプニッツによって提唱されたモナドロジーにおいても、そうした世界観が提示されている。こうした考え一般に対立する立場にあるのが、創発説である。創発説では、物質がある巨視的なレベルで特定の配置を取ったとき、初めて現象的意識やクオリアといった心的経験が創発する、と考える。
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汎経験説
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「デイヴィッド・チャーマーズ」の記事における「汎経験説」の解説
詳細は「汎心論」を参照 そして情報の二相理論を推し進める事によって汎経験説(Panexperientialism)が得られる(単に汎心論と表現されることも多い)。汎経験説とは、世界の基礎的な構成要素の一つとして人間の脳だけに限らずあらゆる所に現象的意識があるであろう、という考え方で物理的な情報処理の実現がある所には、現象的な意識もまたあるという考え方。チャーマーズはサーモスタットや岩にも、人間のもつそれより遥かに単純であるにせよ、現象的意識がある、と主張する。これは一見かなり突飛な主張だが、精神物理法則を上のようなものとして考え、かつ「自然界の中で人間の脳は、取り立てて特別な何かではない」または「自然を統べる法則はすべての時・場所で共通である」という自然の斉一性を前提しさえすれば、当然の帰結として導かれる。しかし日常的な常識からの隔たりが大きいため、「その結果はあまりに常識に反する」といった形で批判される事が多い。
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