水車の選定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 09:16 UTC 版)
石岡第二発電所では、発電機については石岡第一発電所と同じくゼネラル・エレクトリックの製品が採用された。しかし、水車については石岡第一発電所で採用されたエッシャーウイスの製品ではなく、ドイツの水車メーカーであるフォイト社の製品が採用された。この理由について中川(1985)は、フォイト社の熱心な売り込みに応じた結果であるか、または日立製作所が水車の国産化を進めるために水車の見本を取り揃える意図があったかのどちらかであると指摘している。 フォイト社は当時、日本での市場開拓に力を注いでおり、エル・レイボルド商館が総代理店となって日本で売り込みを行っていた。このフォイト社の日本市場への力の入れようについては、三菱重工業神戸造船所技師であった唐沢三省が1913年(大正2年)1月から1914年(大正3年)5月にかけて猪苗代水力電気の所属と偽りフォイト社を見学した際の記録が『日本電機工業史』に記されている。唐沢がフォイト社の重役の部屋を訪れると、そこには大きな日本地図が掛けてあり、既設及び未開発の発電所が詳細に記述されていた。地図中には、発電所の出力・落差・その他必要な項目と、既設の発電所については納入業者も書き込んであったという。 日立製作所においては、創業者である小平浪平によって水車・発電機・電動機の国産化が進められていた。石岡第一発電所にてエッシャーウイス製水車、石岡第二発電所にてフォイト製水車が採用された後、高崎水力電気の室田発電所では日立製作所の水車が採用された。これは、第一次世界大戦の勃発によりフォイト製水車の輸入が頓挫したため、日立製作所が代替製作を引き受けたためである。こうした実績により、久原鉱業が1917年(大正6年)3月に建設した夏井川第一発電所では、発電機・水車共に日立製作所の製品が採用された。
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