水盛台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/14 02:22 UTC 版)
水路の工事設計には測量が必須であり、才蔵は正確な測量をする器具として水盛台(みずもりだい)を考案した。水盛台は、以下のような構造になっている。 長さ約3メートルの竹(直径約18 - 21センチメートル)を地面に寝かせた状態にし、その節を抜き、竹の中央に孔をあけ、約30 cmの竹を差し込む。その先端に水を注ぐための五器と呼ばれる漏斗状のものを取りつける。寝かせた竹の両端に枕を取り付けるとともに、長さ6 cmの竹を差し、高さをそろえる。枕は両端で同じ大きさとし、長さ約42 cmから45 cm、一辺約15 cmの角材を用いる。枕の中央に長さ約61 cmの高さの「見当」と呼ばれる板をたてる。「見当」の先端には長さ12 cmから15 cmの板を打ちつける。 水盛台を利用して測量する方法は、この見当を見通してその高低差を測るものであるが、水盛台を水平に設置する必要がある。水盛台を水平に設置するために、五器から水を注ぎ、両端の短い竹から同じように水が出れば水平に設置されたこととなる。 土地の高低を測量する場合、高いところから低いところに下りるように測量する方法が良いとされている。六十間(約109メートル)を一区切りとし、その中央に水盛台を設置する。一方の見当の高さが3メートル、もう一方の見当の高さが60 cmだった場合、高低差は2.4メートルとなる。これを繰り返すことで最初の地点から終点までの高低差を測ることができる。いろいろな測量方法があるが、確実な方法としてこの方法が良いと書かれている。 小田井の工事では第一期約21 km、第二、三期を含め総延長約32.5 kmとなった。この距離を水を引くために正確な測量が必要だが、水盛台を活用した、正確な測量結果に基づく工事の指示書が残されており、ここには開削する水路の高さ、幅、勾配などが記されていて、いわゆる設計図と言えるものになっている。第一期工事は1707年5月13日に着工、1708年12月16日に完了したとされているが、その間、1707年10月4日に宝永地震による被害があり、工事が一時中断している。工事再開がいつからかは不明だが、1年半程度で約21 kmの開削工事を完了したこととなる。
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