宝永地震による被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/13 06:56 UTC 版)
宝永4年(1707年)の宝永地震では、津波によって気賀の町も大きな被害を受けた。また3度の津波によって移転後間もない新居関所が流され、4-5日間渡海が出来なくなるなど、浜名湖南岸が壊滅的な打撃を受けたため、本街道を避けて、被害の少なかった姫街道の本坂越を利用する旅人が多くなった。 宝永地震による気賀と新居の被害の比較地名死者家屋倒壊震度津波その他気賀 - 全壊100 6 1-2m 船舶240流失 津波により田畑沈没、1,700余石荒地となる 新居 溺死者24 850のうち全壊348、半壊502、流出241 6-7 3-5m 船舶90流出、船199破損 今切関所が潰れ、3度の津波のため4-5日の渡航ができず 出典:飯田 (1982, pp. 146,148,152)により作成。
※この「宝永地震による被害」の解説は、「気賀宿」の解説の一部です。
「宝永地震による被害」を含む「気賀宿」の記事については、「気賀宿」の概要を参照ください。
- 宝永地震による被害のページへのリンク