宝永大噴火以降の活動とは? わかりやすく解説

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宝永大噴火以降の活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 22:43 UTC 版)

富士山の噴火史」の記事における「宝永大噴火以降の活動」の解説

宝永大噴火後、富士山では大規模な火山活動はなかったが、江戸時代晩期から、昭和中期にかけて、山頂火口南東縁の荒巻呼ばれる所を中心に噴気活動があった。この活動1854年安政東海地震きっかけ始まったと言われており、明治大正昭和中期掛けての期間、荒巻中心とした一帯明白な噴気活動があったことが、測候所記録登山客の証言として残されている。 この噴気活動明治中期から大正にかけて、荒巻中心に所を変えつつ活発に活動していたとされる活動昭和に入って低下し始めたが、1957年気象庁調査においても50温度記録していた。その後1960年代には活動終息し、現在山頂付近には噴気活動認められていないしかしながら噴気活動終了後山頂火口宝永火口付近地熱観測されたと記録されている。以上のように、富士山がつい近年まで噴気という火山活動の諸形態一つ続けていたという事実は、富士山が現在も息づいている活火山である証拠である。

※この「宝永大噴火以降の活動」の解説は、「富士山の噴火史」の解説の一部です。
「宝永大噴火以降の活動」を含む「富士山の噴火史」の記事については、「富士山の噴火史」の概要を参照ください。

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