気象台設置
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1943年9月18日、ペーター・シュレーヴェが指揮するU-537は、初の哨戒任務でドイツのキールを出発した。U-537にはコードネーム「クルト」とされたWFL-26が積載され、気象学者のクルト・ソンメルマイヤー博士と助手のウォルター・ヒルデブラントも乗った。途中、U-537は嵐に巻き込まれ、水漏れや4連装高射砲などの大きな損害にあった。 10月22日、U-537はラブラドル半島北部のチドリー岬付近にあるマーティン湾に到着した。このような僻地が選ばれたのは、原住民のイヌイットが発見することを恐れたためである。船が錨を降ろして1時間もしないうちに設置に適当な場所が見つかり、ソンメルマイヤー博士、助手と10人の乗員が気象台設置に向かい、他の乗員は潜水艦の修理に当たった。 万一発見された場合の偽装工作として、気象台の周りにはアメリカたばこの空き箱が落とされ、「カナダ流星観測所」の看板が掲げられた(ただし当時この場所はイギリス自治領だった)。設置作業は28時間で完了し、動作していることが確認された後、U-537は出発した。帰路、U-537はグランドバンクで軍事哨戒を行い、カナダの航空機に3回攻撃されたが、沈没を免れた。 クルト気象台は1ヵ月間稼働したが、その後に故障して動かなくなった。 映像外部リンク 「北アメリカのナチ気象観測所」YouTubeチャンネル Half as Interesting(英語版)より。
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