氏倫系有馬家
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久留米藩初代藩主有馬豊氏の三男の有馬頼次は徳川忠長に仕えて1万石を給されたが、忠長の改易に連座した。頼次の継嗣(有馬則氏の外孫)有馬吉政は徳川頼宣に仕え、以後代々紀州徳川家に仕えた。吉政から数えて3代目にあたる有馬氏倫は、紀州藩主時代から徳川吉宗に側近として仕え、吉宗が将軍となると御側御用取次となった。有馬氏倫は数次にわたる加増を受け、享保12年(1727年)には1万石の大名となり、伊勢西条藩を立藩した。同族の久留米藩が外様大名であるのに対して、大名取り立ての経緯から氏倫系の有馬家は譜代大名である。 天保13年(1842年)、5代藩主有馬氏恕のときに上総国へ陣屋を移して五井藩を立藩。続いて氏倫から9代目(五井藩5代藩主)の藩主有馬氏郁の時には下野国に移り吹上藩となっている。 10代目(吹上藩2代藩主)有馬氏弘の代で廃藩置県を迎える。久留米藩主有馬頼咸の子有馬頼之が養嗣子となり、子爵の爵位を授けられた。頼之の子の有馬聰頼は1943年に爵位を返上している。
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