有馬則氏とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 有馬則氏の意味・解説 

有馬則氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/07 13:53 UTC 版)

 
有馬則氏
時代 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正12年4月9日1584年5月18日
改名 四郎次郎
戒名 芳春
主君 羽柴秀次
氏族 摂津有馬氏
父母 父:有馬則頼、母:別所忠治娘・振
兄弟 則氏豊氏、則次、豊長、有馬重頼室、
渡瀬繁詮正室、石野氏満正室、中山慶親
有馬豊氏養女(後建部光重室)
テンプレートを表示

有馬 則氏(ありま のりうじ)は、安土桃山時代武将有馬則頼の長男。

生涯

羽柴秀吉の甥秀次に仕える。天正12年(1584年)4月9日、小牧・長久手の戦いに秀次に従い参戦したが、徳川軍の迎撃を受け戦死した。播磨国淡河の天正寺に葬られた。

有馬家の家督は弟・豊氏が継承した。

系譜

寛政重修諸家譜』には一女が記載されている。則氏の娘は豊氏の養女となり、のちに建部光重に嫁した[1]。則氏の娘と建部光重の間に生まれた長男・有馬吉政は、有馬頼次(豊氏の三男)の養子となってその家を継ぎ、紀州徳川家に仕えており、末裔からは有馬氏倫が出て大名に列した[2]

脚注

  1. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第四百六十九
  2. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第四百七十

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「有馬則氏」の関連用語

有馬則氏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



有馬則氏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの有馬則氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS