建部光重とは? わかりやすく解説

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建部光重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 11:32 UTC 版)

 
建部 光重
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 天正6年(1578年
死没 慶長15年5月27日1610年7月17日
別名 弥作(通称
戒名 宗成(法名
官位 従五位下内匠頭
主君 豊臣秀吉秀頼
氏族 建部氏
父母 父:建部寿徳、母:山村甚右衛門娘
下間頼龍の娘(池田輝政養女)
有馬則氏の娘(有馬豊氏養女)
有馬吉政、重政、政長、光延
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建部 光重(たけべ みつしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将豊臣氏の家臣。官位従五位下内匠頭

略歴

父・寿徳摂津尼崎郡代を継ぎ、豊臣秀吉秀頼父子に仕えた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属し、長宗我部盛親毛利秀元らと富田信高の守る伊勢安濃津城攻めに加わり、所領(700石)を一時没収されたが、義父・池田輝政の取り成しで赦された。慶長9年(1604年)、秀頼の命により奉行として吉野水分神社を完成させた。慶長15年(1610年)、33歳で没した。徳川家康の特別の計らいにより、わずか8歳の政長が郡代を継いだ。政長は大坂の陣の功により1万石に加増され尼崎藩主となり、後に播磨林田藩に転封され、そのまま建部家は林田藩主として明治維新まで存続した。

参考文献

  • 『日本人名大辞典』(講談社)

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