母父としての成績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/09 22:28 UTC 版)
一方のスターシュートもまた母父として少なからぬ影響力を持っていた。1924年から1926年、および1928年と1929年の5年度において、スターシュートはアメリカリーディングブルードメアサイアーの座を獲得している。母として優れた産駒は、総じて競走馬としては大成しなかったものばかりであった。 1916年生まれの牝馬スターファンシーは未出走のまま引退した牝馬で、そのまま繁殖に上がった。そのスターファンシーとマンノウォーの間に儲けられた1923年生まれの牡馬がクルセイダーで、後にベルモントステークスを優勝、さらにサバーバンハンデキャップ連覇などの輝かしい戦績を残し、後年アメリカ競馬殿堂入りを果たすなど、スターシュートの母父実績の中でも最良のものとなった。 1910年生まれのクリスマススターはエディーエムの全姉にあたるが、競走成績はまったく残さなかった馬であった。しかし繁殖入り後はトラヴァーズステークス勝ち馬マーズ(1923年生・牡馬・父マンノウォー)などを出し、同馬を所有したウォルター・M・ジェフォーズの牧場を支える基礎繁殖牝馬となった。 1907年生まれの牝馬リヴォニアは、競走馬時代にグレートイースタンハンデキャップとウィローハンデキャップに勝った馬であった。その牝系はしばしばクラシック馬が出ている名門牝系で、リヴォニアもその例に漏れずに1915年のベルモントステークス優勝馬・ザフィンを生んでいる。ザフィンは他にもウィザーズステークスなどに優勝し、また種牡馬としてもゼヴなどのクラシックホースに恵まれ、1923年のアメリカリーディングサイアーになっている。 1904年生まれの牝馬マインドフルは後のクレイボーンファーム総帥アーサー・ハンコックに購入され、1918年にケアフル(父ラック)という名の牝馬を産んだ。同馬は2歳戦でその能力を発揮し、3歳時もピムリコオークスなど牝馬路線の競走を総なめにした。後年に1920年の最優秀2歳牝馬として選定され、ハンコックの生産した初の受賞牝馬となった。ハンコックはこのスターシュート産駒牝馬とラックの組み合わせを他にも試しており、1917年に生まれた牡馬ブレイゼズ(母ブレイジングスター、デラウェアハンデキャップなどに優勝)もそのうちの一頭であった。 スターシュート産駒の中でも、産駒の勝ち上がりの面で特に優れていた繁殖牝馬として、1918年生のデイライトセービングの名が挙がる。同馬は10頭の産駒を産み、そのうち8頭が勝ち上がりを決め、さらに4頭がステークス競走勝ち馬となった。出世頭は1929年生の牡馬ガスト(父アメリカンフラッグ)で、アメリカンダービーやジョッキークラブゴールドカップなどで優勝、1932年には同年の獲得賞金王に輝いた。 このほかでは、ホープフルステークスやメトロポリタンハンデキャップなどに勝ったジャックハイ(1928年生・牡馬・父ジョンピーグライアー)、サバーバンハンデキャップ勝ち馬のロックミンスター(1919年生・牡馬・父フライアーロック)、トラヴァーズステークスで大番狂わせを演じたジムダンディ(1927年生・牡馬・父ジムガフニー)などがいる。
※この「母父としての成績」の解説は、「スターシュート」の解説の一部です。
「母父としての成績」を含む「スターシュート」の記事については、「スターシュート」の概要を参照ください。
- 母父としての成績のページへのリンク