母体としての士族:士族の官職保有率と有位者数
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「階級」としての武士が平準化を迫られた一方で、江戸前期まで支配を担ってきた階級として、扱いに困っていたが、明治新政府は藩閥制度より率いられた政府であり、役人も当初は各藩からの「徴士」「貢士」という人材供出より始まったものであるため、版籍奉還後も藩主は藩知事、旧藩士たちは藩吏として務め、府県に移行した後も奉職した者も多い。明治14年(1881年)段階の中央や地方官における士族の官職保有率の割合を見ると、官員総数が約7万8000人のうち、士族の任官者は約5万2千人、地方郡町村吏においても約9万2千人のうち士族の割合は1万5千人と、比較的高い割合を占めていた。従一位から従八位までの有位者の割合も明治17年(1884年)から明治36年まで7割から6割の間で推移していた(しかし授与された有位者は士族を救済する役目もあったため、割合は多めである)。このことから、族籍としては特権を失う一方、明治新政府や地方行政の中では既得権益を維持した士族もいたことがわかる。なお、官吏は募集人数が少なかったため、全ての士族が就けたわけではなく、転向する羽目となった士族が多い。後に下記の通り選抜が実力化されると、割合としては急激に減少していき平民に置き換わっていった。 明治14年の官職保有士族の戸数比率官員(中央・府県道の文・武官、司法官、監獄官、技術官)総数7万8328人(うち士族5万2032人) 郡区町村吏 総数9万266人(うち士族1万5524人) 士族 総戸数 425658戸 有位者(従一位~従八位)族籍別構成年∖族籍別構成族籍別構成(人)占有率(%)人口一万人あたりの輩出率華族士族平民合計華族士族平民士族平民明治17年(1884年)192936 6936839491,121 4,8326,05310,49621,324 6921,0595,24710,589 6,2177,79516,69233,034 11.18.85.73.4 77.777.762.964.6 11.113.631.432.1 24.831.250.898.4 0.20.31.32.4
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