歴史記録
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いくつかの文献には、紀元前7世紀から紀元前2世紀にかけて満州に居住した東胡がツングース祖語を話していたと書かれている。他の文献では、「東胡」と「ツングース」との発音の類似性は偶然だとして、東胡=ツングース説が鋭く批判されているが、この批判も実際には根拠がない。 百済と新羅の歴史記録には、1世紀と2世紀の満州で靺鞨と戦ったことが記録されている。一部の学者はこの靺鞨が後の女真と密接に関係していると示唆しているが、これは論争中である。 アヴァール可汗国を生み出したヨーロッパのアヴァールの言語はツングース語族であると考える学者もいる。
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歴史記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 00:05 UTC 版)
この文化について直接の歴史記録は無いが、同時代のこの地域の住民集団や政治状況の窺える物として漢籍古典の記録がある。古い時代にはこの地域に居住した牧畜民は狄と総称されていた。紀元前3世紀には、この付近の西側に月氏がいた記録がある。月氏の系統はおそらくトカラ語派話者の系統であるが、イラン語派話者の塞あるいはサカ(スキタイ)の系統とする考えもある。 匈奴は記録上、紀元前3世紀に南下してオルドスに現れた(ただしそれ以前のオルドス文化の遺物も、匈奴のものとする説もある)。その後、趙と秦がオルドスを支配したが、紀元前209年匈奴に敗れた。匈奴は再び南に勢力を伸ばし、冒頓単于の下で紀元前160年頃月氏の領域に入った。敗れた月氏はサカを破り西方へ追ったが、後には月氏自身も中央アジアに追われることになる。匈奴はこの時期にオルドス地方を征服し中国と直接接触した。前漢は武帝の時代に匈奴との戦いを開始し、紀元前127年にオルドス地方を征服した。
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