歴代天声人語子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 13:59 UTC 版)
大阪朝日新聞で掲載が始まった当初は、筆者は一人ではなくグループの筆陣だった。初期は西村天囚、鳥居素川、内藤湖南の三首脳、次いで長谷川如是閑、大山郁夫、櫛田民蔵、丸山侃堂、岡野告天子、高原操、原田棟一郎、安藤正純、土屋大夢らが執筆し、大正初期は主に如是閑が執筆したとされる。 初期の執筆陣の大半が白虹事件のために退社した後、1924年10月6日から京都支局長から論説委員に転じた「釈瓢斎」こと永井栄蔵(永井瓢斎)が専任の天声人語子となり、約10年間担当した後1936年9月26日に定年退職した。 第二次世界大戦後の天声人語子は以下の通り。 嘉治隆一 1945年9月 - 1946年4月(この時期、益田豊彦ら数名の論説委員も執筆したことがある) 荒垣秀雄 1946年5月 - 1963年4月 吉村正一郎 1948年 入江徳郎 1963年5月 - 1970年4月(後JNNニュースコープ司会者) 疋田桂一郎 1970年5月 - 1973年2月 深代惇郎 1973年2月 - 1975年11月 辰濃和男 1975年12月 - 1988年8月 白井健策 1988年8月 - 1995年8月 栗田亘 1995年8月 - 2001年3月 小池民男 2001年4月 - 2004年3月 高橋郁男 2004年4月 - 2007年3月 冨永格 2007年4月 - 2013年3月 福島申二 2007年4月 - 2016年3月 根本清樹 2013年4月 - 2016年3月 山中季広 2016年4月 - 有田哲文 2016年4月 -
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