歯科医師対象の「編入科」「臨時科」
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「戦時中の医師不足対策」の記事における「歯科医師対象の「編入科」「臨時科」」の解説
加えて1944年(昭和19年)4月に、歯科医師を医専3年次に編入させた上で、二年間の医学教育を経て医師免許を与える編入科(定員80名)が東京医歯専に設けられた。 「編入科」の制度は2期生までで終了・廃止になった。「編入科」1期生の歯科医師は、戦時中に繰上げ卒業が命じられたために2年間の教育を短縮して1945年(昭和20年)9月に卒業し、インターンや医師国家試験を経ずに直ちに医師免許が与えられた。2期生は、2年間の教育が行われ1948年(昭和23年)3月に卒業したが、1年間のインターン教育の後に医師国家試験が課せられている。ちなみに入学者は、全員男性だった。 さらに1945年(昭和20年)2月、文部省は、慶應義塾と慈恵医大の両大学の附属医学専門部に、歯科医師を第三年次に編入の上で一年間の医学教育を行う臨時科(定員各160名)を設置させた。 慶應義塾大学では1945年(昭和20年)3月に入学試験を行い、4月に授業を開始。しかし5月の空襲によって信濃町の医学部・医専校舎や病院が焼失し、地方に疎開しながらも食料不足の中で講義と臨床実習が行われ、教育は困難を極めた。1946年(昭和21年)3月に「臨時科」一期生158名が卒業し、インターン教育を開始。11月に第一回医師国家試験を受験し、99名が合格した。慈恵医大においても144名が卒業し、やはりインターン教育ののち医師国家試験を受験している
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