武者満歌
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武者 満歌(むしゃ まんか、1848年2月18日〈嘉永元年1月4日〉 - 1941年〈昭和16年〉)は、日本の土木技師、実業家。鹿島組顧問。お雇い外国人のジョン・ダイアックの助手をつとめ、汐留駅構内に記念碑がある日本の鉄道の「0哩零鎖」の第一杭を打った[1]。族籍は京都府士族[2]。朝鮮電気協会副会長・京城電気(現・韓国電力公社)社長の武者錬三は長男。
- ^ a b “デジタル版 港区のあゆみ(『新修港区史』のウェブ版)第一編第六章「近代」第一節「明治前期の港区」(七)「文明開化の諸相」(1)「鉄道の開通]”. ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム. 2021年8月25日閲覧。
- ^ “武者鍊三 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b “初めて鉄道が出来た頃”. ktymtskz.my.coocan.jp. 2021年8月25日閲覧。
- ^ “日本国有鉄道『日本国有鉄道百年史. 年表』(1997.12) | 渋沢社史データベース”. shashi.shibusawa.or.jp. 2021年8月25日閲覧。
- ^ 『鉄道文化財めぐり』保育社、1994年。ISBN 978-4-586-50864-8 。
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