武田氏と戦う
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/01 07:46 UTC 版)
元亀3年(1572年)武田信玄との三方ヶ原の戦いでは浜松城より取って返し、武田軍の追撃を防いで味方の敗走を助ける。同4年(1573年)7月には甲斐武田氏に属していた東三河の奥平貞能・貞昌父子に徳川氏への帰属を呼びかけ保護する。翌月、天正元年と改元された8月(1573年)、奥平氏に加勢して武田軍と戦い、奥平所領から武田軍を駆逐。岡崎城へ武田軍が迫る危険性を軽減した。天正3年5月(1575年)には、長篠の戦いに参戦。本隊とは別働で、武田信実らが守備する鳶の巣山砦を酒井忠次達と共に攻めて、徳川方勝利に貢献した。 天正5年(1577年)冬、嫡子・康重に家督を譲る。
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