正典への受け入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 04:00 UTC 版)
初代教会の時代、『ヤコブ書』の正統性に疑義を持つものが(キリキアの司教テオドロスなど)少なからずおり、準正典的な位置づけがされていた。ムラトリ断片の正典表には『ヤコブ書』は出ておらず、エウセビオスも『教会史』の中で「論争中の書」という位置づけにしている。ヒエロニムスは同じような位置づけを与えながらも、実質的には広く受け入れられていると書き加えている。 『ヤコブ書』は教会の中で正典として受け入れられるまでに非常に長くかかっている。その理由として考えられるのは、内容が主にユダヤ人キリスト教徒に向けられたものだったということにあると考えられる。そのため非ユダヤ人の間ではなかなか読まれるようにならなかった。それでもアレクサンドリアのアタナシオスがまとめた27の正典の中には加えられており、4世紀のいくつかの公会議を経て正式に正典と認められるようになった。 宗教改革の時代、一部の神学者によって再び『ヤコブ書』が槍玉に挙げられるようになった。特にマルティン・ルターは『ヤコブ書』をあまり価値のないものと考え、『藁の書』と呼んで何度も正典から外そうとした。その理由はルターが唱えた「信仰のみ」という考え方の中心をなすパウロの思想を批判するだけの文書と考えたためであったと思われる。結局ルターの弟子たちがルターが正典から除外しようとした『ヨハネの黙示録』と共に新約聖書については伝統的な27書とすることで問題は決着した。 現代では、本書が批判しているのはパウロの思想そのものではなく、それを曲解した者たちであるとの理解から、ほとんどのキリスト教徒たちが『ヤコブ書』を正典にふさわしいものとみなしている。
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