欧州でのテロ活動
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「カルロス (テロリスト)」の記事における「欧州でのテロ活動」の解説
1973年6月、パレスチナ活動家のモハメド・ブーディアがモサド工作員の仕掛けた爆弾によって暗殺された。ブーディアはファタハの分派組織黒い九月の欧州代表者であり、1972年に起きたミュンヘンオリンピック事件の主犯の一人と見られていた。ブーディア暗殺後、カルロスはハダドの指令で欧州へ渡りテロ活動に従事するようになった。1973年にロンドンのマークス&スペンサー社社長の暗殺未遂に関与し、1974年9月にはパリ・サンジェルマン・デプレ地区のピュブリシス薬局で、1972年6月に在西独米軍基地から盗まれたM26手榴弾を投げつけて2名の死者、34名の負傷者をだした爆破テロに関わる(ピュブリシス薬局テロ事件, fr )。またオランダで起きたハーグ事件では日本赤軍の後方支援を担当。1975年1月にはオルリー空港襲撃事件に関与。同年3月にパリ5区トゥーリエ街 (fr) 9番地潜伏中にアジトへ踏み込んできたフランス国土監視局(DST)捜査官2人を射殺し、捜査官1人に負傷を負わせ、レバノン人情報提供者を射殺した(トゥリエ街連続射殺事件, fr)。 DST捜査官射殺事件で有名になった「カルロス」を追っていたイギリスガーディアン紙が、カルロスの元彼女と交際していた男性から、自分たちの住むロンドンのアパートにカルロスが置いていった兵器などの遺留品があるという連絡を受けて取材していた際、本棚に『ジャッカルの日』があったことを報じたために「ジャッカル」というあだ名がつくようになった。ただしこの本はカルロスの持ち物ではなく、ガーディアン紙に通報した人物の持ち物であり、カルロス自身は『ジャッカルの日』を読んでいたわけではないとみられる。このDST捜査官射殺事件の時から、カルロスはDSTに執拗に狙われるようになった。
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