次の賞への試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 14:20 UTC 版)
「ソフィ・ジェルマン」の記事における「次の賞への試み」の解説
そのコンテストは2年間延期され、再び賞をとる決意をした。ルジャンドルは初め援助を続けていたが、その後全ての援助をやめた。ジェルマンの匿名の1813年に提出された論文は特に二重積分の誤りなどの数学的誤りが散在していたため、「弾性体表面の理論の基礎的基盤は確立されていない」として等外賞しか受けることができなかった。。コンテストは再び延期され、3度目の挑戦を行った。今度はポアソンに相談をした。1814年にポアソンは弾性について研究を自分自身のものとして発表し、ジェルマンの協力があったことを認めなかった(ポアソンは彼女とその題目について研究していたが、アカデミーの委員会の審査員として、彼女の研究を利用することができた)。 3度目の論文 "Recherches sur la théorie des surfaces élastiques"を本名で投稿し、1816年1月8日、パリ科学アカデミーで大賞を受けた最初の女性となった。彼女は授賞式には現れなかった。最終的には非常に高い賞金を授与されたが、アカデミーは依然として完全には満足していなかった 。彼女は正しい微分方程式を導いたが、彼女の手法では実験結果を非常に正確には予測することができなかった。なぜならオイラーの誤った方程式に頼り、誤った境界条件が出てきてしまったからである。以下にジェルマンが最後に導出した方程式を示す。 N 2 ( ∂ 4 z ∂ x 4 + ∂ 4 z ∂ x 2 ∂ y 2 + ∂ 4 z ∂ y 4 ) + ∂ 2 z ∂ t 2 = 0 {\displaystyle N^{2}\left({\frac {\partial ^{4}z}{\partial x^{4}}}+{\frac {\partial ^{4}z}{\partial x^{2}\partial y^{2}}}+{\frac {\partial ^{4}z}{\partial y^{4}}}\right)+{\frac {\partial ^{2}z}{\partial t^{2}}}=0} N2 は定数である。 アカデミーのコンテストで大賞を受賞したのちも、会員の妻以外の女性は参加できないというアカデミーの伝統のために、集まりに出席することが依然としてできなかった。7年後、彼女がアカデミーの書記官であるジョゼフ・フーリエと友人となり、集まりに参加するためのチケットを取ってくれたことで、この状況は一変した。
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