機関術練習所から初代工機学校まで
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「海軍工機学校」の記事における「機関術練習所から初代工機学校まで」の解説
1884年7月に、下士官相当の技官を横須賀造船所に派遣して実習を行ったのが機関教育の嚆矢である。同年12月には3年間のカリキュラムで機関工の養成を図る「海軍機関工概則」が制定されている。彼らは艦艇に乗船して機関を操作する機関工か、海軍工廠で造船に携わる船匠・鍛冶となるために教育を受けた。海軍直属の技官を必要としない平時には、民間の技術者へ転出できることになっていた。諸制度の変遷を経て、1897年9月3日に「機関術練習所」が開かれ、機関・船匠・鍛冶の3コースが設定された。 1907年4月20日、兵科の海軍砲術学校・海軍水雷学校と同時に「海軍工機学校」へ改編され、機関将校を学生、機関兵・機関下士官を練習生として教育を開始した。しかし兵科よりも格下と見なされていた機関科に対する偏見が根強く、機関術・造船術に高等教育は不要とする意見や、練習生は訓練・実習さえ繰り返していれば事足りるとする意見が多かった。開校から僅か7年、1914年4月1日をもって、初代工機学校はあえなく廃止され、練習生の教育は機関学校に新設された普通科と高等科で継続することとなった。
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