横浜・川崎市のホンチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/16 15:00 UTC 版)
江戸時代ころより「蜘蛛合わせ」の名で遊ばれており、賭けの対象にもなり幕府に禁じられた。大正時代には、雨で漁に出られない漁師の間で流行した。1924年(大正13年)頃よりこの地域で盛んに行われるようになり、第二次世界大戦後の1960年(昭和35年)頃まで、子供達の娯楽として熱狂的な人気があった。 ホンチの持ち運びケース兼試合リングとなるマッチ箱に似た小箱「ホンチ箱(クモ箱)」が木型職人であった加藤光太郎などの手によって量産され、駄菓子屋で販売された。横浜市では1983年(昭和58年)に遊びの保存・伝承を目指す横浜ホンチ保存会が発足し、現在も毎年大会が開催されている。 2019年(令和元年)11月5日、横浜市内のホンチは横浜市登録地域無形民俗文化財に登録された。
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