横浜大空襲による被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 06:33 UTC 版)
「横浜市営バス」の記事における「横浜大空襲による被害」の解説
乗合自動車運転系統図(1945年5月)より運行系統キロ程桜木町駅前 - 山下橋 - 小港 - 間門 - 磯子 8.95km 鶴見駅 - 市場 - 向井町二 - 弁天下 - 寛政 5.00km 鶴見駅 - 森永工場前 - 末吉橋 5.54km 鶴見駅 - 安田銀行前 - 向井町二 - 富士電機前 3.39km 横浜駅 - 東横反町駅前 - 島田橋 - 三ツ沢 3.52km 六角橋 - 新子安 - 宝町 - 大黒町岸壁 - 明神前 9.28km 1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲では浅間町車庫の焼失やバス144台中55台を失うなど電気局も大損害を受け、バスは翌日から全面運休となった。しかし職員の必死の努力により、6月1日からまずは軍需工場への輸送のための末吉橋 - 鶴見駅西口線、横浜駅 - 洪福寺線が運行再開、6月4日から桜木町駅 - 間門線が運行再開された。 横浜大空襲直前の1945年(昭和20年)5月の「バス運行系統図」を見ると、軍需工場への輸送力が要求されていた鶴見地区を中心にわずか6路線のみしか運行されていない。
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