検定協会と検定試験の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 23:58 UTC 版)
「中国語検定」の記事における「検定協会と検定試験の沿革」の解説
本検定試験の実施主体たる日本中国語検定協会は、1981年に創設された。この時代、中国の「改革開放路線」により、中国が国外に向かって国を開いた時期に当たる。日本でも中国への関心が急速に高まり、中国語を学ぶ人数が増加した。そのため急ごしらえの施設、教師、教材で教えるという急成長期あるいは復興期にありがちな混沌とした状況もありがちだった。そこで大阪の民間の中国語の学習組織のメンバーが中心となり、学習者に級別の学習目標を示し、その目標の達成度をできるだけ客観的に計り得ることが必要と考えたのが本検定試験の創設の理由である。なお第1回の検定試験は、大阪会場のみで、級も4段階しかなかった。受験者数も全級あわせて60名ほどだった。1985年秋には、試験を全国的に実施するため、協会本部を東京に移転させた。当初は4段階の級別試験であったが、級と級の段差が大きすぎたことから、6段階に改めた。準4級・準1級という「準」のついた級があるのは4段階時代の名残である。1987年9月には、検定試験に関する情報や中国語学習のノウハウを広く受験者や学習者に提供することを目的として、『中国語の環』が発刊された。発刊当初は、会員制購読制だったが、2003年発行の第63号から、各回の試験ごとに無料配布される『受験案内』に別刷りの冊子として綴じ込む形態となった。
※この「検定協会と検定試験の沿革」の解説は、「中国語検定」の解説の一部です。
「検定協会と検定試験の沿革」を含む「中国語検定」の記事については、「中国語検定」の概要を参照ください。
- 検定協会と検定試験の沿革のページへのリンク