棋歴・実績とは? わかりやすく解説

棋歴・実績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 01:04 UTC 版)

北島忠雄」の記事における「棋歴・実績」の解説

プロ入り苦労した棋士代表例である。 奨励会抜けるのに15年かかり、四段昇段したのは29歳のときである。奨励会同期には日浦市郎小野敦生中田功佐藤秀司がいるが、北島四段昇段した当時、彼らは全員トーナメントプロとして相応実績挙げ、五段以上に昇段していた。 しかしながらプロ入り後は相応活躍をし、順調に出世する。 第39期(1997年度王位戦予選タイトル棋聖経験者田中寅彦・後に二冠となる久保利明などに勝利し紅組リーグ入り初代竜王島朗勝利したものの、残留ならず。次期王位戦でも予選勝ち抜き白組リーグ入り当時タイトルホルダー棋聖)だった郷田真隆勝利したものの、再びリーグ陥落した。 第54期1995年度)より参加した順位戦ではC級2組在籍5期目となる第58期1999年度)において8勝2敗・45人中3位成績修めC級1組昇級した。第61期(2002年度)も、C級1組において8勝2敗の好成績修めたが、B級2組への昇級には至らなかった(仮に最終局で、北島自身が勝ち、勝数上位だった堀口一史座・勝数同点北島より順位上位だった屋敷伸之両者負けていたら、北島昇級していた。しかし、堀口屋敷ともに勝利し昇級阻止された形となった)。 2003年六段昇段。これは、竜王戦昇段規定一つである「竜王ランキング戦通算3回優勝」の条件によって昇段した初のケースである(竜王戦歴代本戦出場者 を参照)。 第22期竜王ランキング戦3組準決勝2009年4月9日)で勝ち、自己最高の2組昇級また、同年度、第17期銀河戦においては予選と本戦勝ち抜き16名で行われる決勝トーナメント進出し、さらに羽生善治を破るなどしてベスト4入り準決勝阿久津主税この期優勝者)に敗れる。

※この「棋歴・実績」の解説は、「北島忠雄」の解説の一部です。
「棋歴・実績」を含む「北島忠雄」の記事については、「北島忠雄」の概要を参照ください。

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