櫻井設雄
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櫻井 設雄 | |
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個人情報 | |
生誕 | 1939年 |
死没 | 2011年11月23日 |
宗教 | 世界基督教統一神霊協会 |
配偶者 | 小河原節子 |
子供 | 長男・櫻井正上(日本統一教会・家庭教育局副局長) |
櫻井 設雄(さくらい せつお、1939年(昭和14年) - 2011年(平成23年)11月23日)は、日本の宗教家。世界基督教統一神霊協会の日本統一教会第5代会長。
生涯
1966年(昭和41年)、世界基督教統一神霊協会へ入教。
1969年(昭和44年)5月1日、統一教会本部で22組の男女が文鮮明・韓鶴子夫妻から祝福を受けて合同結婚した[1][2]。このときに櫻井は小河原節子と結ばれた[3][注 1]。
1971年(昭和46年)に十字軍第一団長、1973年(昭和48年)に東京第1地区地区長、1980年(昭和55年)に本部伝道局長、1992年(平成4年)に本部事務局本部長、1993年(平成5年)に群馬教区教区長・本部会長秘書室室長・南東京教区長・千葉地区長にそれぞれ就任[3]。
1995年(平成7年)6月7日、世界基督教統一神霊協会日本教会の第5代会長に就任。1996年(平成8年)、同会長を退任。同年、トルコ国家メシヤに就任。1999年(平成11年)に南北米福地開発協会副会長に就任。
2011年(平成23年)11月23日、死去。72歳没[6]。
親族
2016年(平成28年)2月、長男の櫻井正上が教団の家庭教育局副局長に就任。さらに同年6月、正上は、次世代の結婚問題を取り扱う「二世圏祝福推進委員会」の委員長に就任した[7]。しかし要職につくことで教団の実態を知り、同年から2017年(平成29年)にかけて「教団本部は毎月20億円以上の献金を信者に求める目標を掲げていた」と証言し、運営方針に異を唱える文書を公表した[8][9][7]。
2017年(平成29年)5月、妻の節子が、放逐された文鮮明の三男の文顕進とともに歩むとして、退会届を出した[10]。同年10月、正上は役職を解任され、節子と同様に退会した[8][9][7]。同年12月2日、文顕進は共同創設者として「家庭平和協会」(Family Peace Association)を設立した[11][12][13][14]。
脚注
注釈
出典
- ^ “【文鮮明総裁聖和節記念】日本を愛した文先生の足跡 15 南平台から松涛へ(最終回)”. 光言社 (2021年10月13日). 2022年11月8日閲覧。
- ^ “真の父母様と統一運動の歴史 1920-1969”. 光言社. 2022年10月12日閲覧。
- ^ a b 1988年,キリスト新聞社『基督敎年鑑』
- ^ 文藝春秋編 2022, pp. 56–57.
- ^ “統一教会・先輩家庭の苦労を称え、伝統の相続を誓う”. 中和新聞 (2012年8月21日). 2022年11月8日閲覧。
- ^ “櫻井設雄・統一教会第5代会長の聖和式を挙行”. 家庭連合. 2024年10月22日閲覧。
- ^ a b c “旧・統一教会問題について考える”. 2025年3月25日閲覧。
- ^ a b 春増翔太 (2022年9月9日). “旧統一教会元幹部が実名証言 韓国への送金「推計年100億円」”. 毎日新聞. 2025年3月18日閲覧。
- ^ a b “「親としてやってはならないことを…」 旧統一教会元幹部がみた苦悩”. 朝日新聞 (2022年9月7日). 2025年3月18日閲覧。
- ^ “2017年5月25日 櫻井節子夫人の信仰告白”. FPA JAPAN. 2024年10月22日閲覧。
- ^ “가정평화협회 창설” (朝鮮語). newsis (2017年12月4日). 2018年2月28日閲覧。
- ^ “가정평화협회 창설” (朝鮮語). newsis (2017年12月4日). 2018年2月28日閲覧。
- ^ “가정평화협회 창설, 환영사하는 곽진만 조직위원장” (朝鮮語). newsis (2017年12月4日). 2018年2月28日閲覧。
- ^ FPAとは一般社団法人FPA
参考文献
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