桂川の河川開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 02:25 UTC 版)
淀川水系の河川総合開発は戦後1953年(昭和28年)流域に多大な被害を齎した台風13号により、本格的な整備が進められた。既に1949年(昭和24年)より経済安定本部を中心に策定した「河川改訂改修計画」を土台に、1954年(昭和29年)「淀川水系改訂基本計画」が策定されこの中で初めて多目的ダムによる洪水調節が企図された。この計画に基づいて瀬田川洗堰改築・天ヶ瀬ダム(淀川)、高山ダム(計画当時は月ヶ瀬ダム。名張川)、室生ダム(計画当時は宇陀川ダム。宇陀川)が計画・建設された。 その後洪水調節に加え関西圏の人口増加に伴う水需要の逼迫に対応する為、1962年(昭和37年)に淀川水系は「水資源開発促進法」に基づく「淀川水系水資源開発基本計画」が策定された。この中で水資源開発公団(現・水資源機構)によって青蓮寺ダム(青蓮寺川)や布目ダム(布目川)が計画・建設された。こうして淀川水系の総合開発は整備されていくが淀川・木津川と並ぶ主要支川である桂川に関しては、1961年(昭和36年)に当時の京都府船井郡園部町と同郡日吉町の町境地先に「淀川水系改訂基本計画」に基づくダム計画が持ち上がった。 当時は「宮村ダム」と呼ばれていたこのダム計画こそ、後の日吉ダム事業である。
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