核エネルギー管理法案策定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/13 02:14 UTC 版)
「暫定委員会」の記事における「核エネルギー管理法案策定」の解説
暫定委員会が組織される前の1944年7月に、ブッシュ、コナントとアーヴィン・スチュワート (Irvin Stewart) は核エネルギー管理のための法律の提案を行っている。 コナントはこの提案を1945年7月9日の暫定委員会の会議に提出している。 ハリソンは2人の経験豊かな弁護士ケネス・ロイヤルとウィリアム・マーベリー (William L. Marbury) に法案の草稿をまとめる作業を託した。 彼らがまとめた草案では、5人の民間人と4人の軍人からなる計9人の委員会を設置することとなっていた。 委員会には、所有権の取得、設備の運営、研究の指揮、そしてあらゆる形での核エネルギーの管理を認める幅広い権限が与えられていた。 この法律案は7月19日の暫定委員会の会議で検討され、委員の提案に沿って改定されてから、8月に大統領に送られた。 9月28日に暫定委員会は再び会合を開き、法案成立のための戦略について議論している。 法案は10月3日に、下院軍事委員会 (House Military Affairs Committee) 議長のアンドリュー・メイ (Andrew J. May) および上院軍事委員会 (Senate Committee on Military Affairs) の幹部委員エドウィン・ジョンソン (Edwin C. Johnson) 上院議員によって連邦議会に提出され、一般にメイ=ジョンソン法案 (May-Johnson bill) の名で知られるようになった。 このメイ=ジョンソン法案は議会で直ちに困難に直面している。 暫定委員会は11月に解散していたが、メイ=ジョンソン法案の修正について議論するために12月にもう一度だけ会合を行っている。 12月20日には上院議員ブライアン・マクマホン (Brien McMahon) によってマクマホン法案として知られるようになった核エネルギー管理の代替法案が提出された。 当初これは、科学的研究の管理に向けた極めてリベラルな法案で、科学者から幅広い支持を集めた。 メイ=ジョンソン法案も核エネルギーの文民統制の側面があったものの、マクマホンによって核エネルギーの軍による管理か、民間による管理かという論争が沸き起こった。 1946年には、上院の保守派に譲歩するためマクマホン法案にいくつかの大きな変更が加えられ、その後、修正法案は大きな変更なく両院を通過した。 1946年8月1日のトルーマン大統領の署名により原子力エネルギー法 (Atomic Energy Act of 1946) として成立したこの法律にもとづき、文民統制の色彩の濃い原子力委員会が設置された。
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