株式会社山中商会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:26 UTC 版)
1916年(大正5年)2月京都支店が山中合名会社として独立、1917年(大正6年)12月の吉郎兵衛の死去契機とし、1918年(大正7年)6月高麗橋一丁目に株式会社山中商会を設立、8月北浜の吉郎兵衛店は合資会社山中吉郎兵衛商店に改組し、前者が海外での美術品流通事業、後者が国内での茶道具販売を担当した。 1921年(大正10年)7月には高麗橋一丁目に欧米雑貨輸入を目的とする合資会社山中商店が設立されているが、詳細は不明である。 1928年(昭和3年)シカゴノース・ミシガン・アベニュー(英語版)846番地に支店を開いた。 1930年(昭和5年)アメリカでスムート・ホーリー法により関税が引き上げられたが、1830年以前製作の美術品は対象外とされたため、本来対象となる仕入値についても対象外のものとして報告することで1934年(昭和9年)から継続して脱税に手を染め、1939年(昭和14年)6月アメリカ合衆国財務省に摘発された。
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