山中商会社長
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1917年(大正6年)山中吉郎兵衛が死去後、1918年(大正7年)6月株式会社山中商会を設立し、社長に就任した。この大正期において浮世絵を取り扱う最大の輸出商として知られるようになった。フランスの宝石商アンリ・ベーベルの浮世絵コレクションを松方幸次郎に斡旋し、数千点の浮世絵が松方コレクションに加わった。 1921年(大正10年)と1923年(大正12年)2度渡欧して各支店を視察し、1924年(大正13年)6月天竜山石窟(中国語版)、1925年(大正14年)洛陽市龍門洞窟、大同市雲崗石窟を調査し、仏印、シャム、南洋、欧米を巡って1926年(昭和元年)4月2日帰国した。1926年(昭和元年)再び天竜山石窟を訪れて『天竜山石窟踏査記』を著した。 1931年(昭和6年)の渡欧中、ストックホルム宮殿に呼ばれ、スウェーデン皇太子グスタフ6世アドルフに愛蔵品の解説を行った。
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