山中地域での強訴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 01:27 UTC 版)
12月21日、大庭郡樫邑と西西条郡西谷村、東谷村の農民が、大庄屋・中庄屋に四歩加免と14%の年貢米の返納と、ここ数年の年貢帳簿の引き渡しを要求する。大庄屋・中庄屋はこれを拒否し、代わりに米切符を渡す。この話が山中地域に広がり、徳右衛門、弥治郎、半六を頭取として大庄屋・中庄屋を襲撃し、米切符や米俵等を得る。29日、状宿・状着を選出し、農民の自治の試みが実現される村も出始める。30日、山田・三木の両代官は山中地域に1800俵の米切符を出し、引き上げる。山中が天領になれば、津山藩の米切符は無効になるため、徳右衛門らは米への交換に向けた戦いを組む。
※この「山中地域での強訴」の解説は、「山中一揆」の解説の一部です。
「山中地域での強訴」を含む「山中一揆」の記事については、「山中一揆」の概要を参照ください。
- 山中地域での強訴のページへのリンク