栗当の不動明王磨崖像とは? わかりやすく解説

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栗当の不動明王磨崖像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/28 03:59 UTC 版)

栗当の不動明王磨崖像(くりとうのふどうみょうおうまがいぞう)は、富山県南砺市栗当にある磨崖仏

1970年昭和45年)8月31日に利賀村の天然記念物に指定され、利賀村が南砺市に合併した後も市の指定文化財とされている[1]

概要

砺波郡平野部から利賀谷地域を訪れる際、古くは「藤懸の渡り(現在の庄川合口ダムの辺り)」で庄川東岸に渡り、名原村・落村・湯山村(いずれも旧東山見村に属する)を経て栗当村(利賀谷最北端)に出るルートが主流であった[2]。しかし井波町が発展したことで井波町と五箇山の往来が増えると、「杉谷峠」で山を越え、「仙野原大橋」で庄川を渡り、栗当村に出るルートが主に用いられるようになった[3]

栗当の不動明王は、この井波町と利賀谷をつなぐ道沿いに刻まれたものである[4]小牧ダムの建設以前、栗当村の庄川と利賀川が合流する一帯は、河川が渦巻く難所であった[5]。地元の伝承では、河川の渦巻く深淵に雌雄の竜が棲み、仙納原村はその通い道であったという[5]。そのため、不動明王像は利賀川筋往還の守護を、不動明王の霊威に託して刻まれたものと考えられている[5]

磨崖像には「天保十五年甲辰(1844年)四月 越中住人森准作」の造像銘があり[6]江戸時代後半の作ではあるが、古くからの歴史と信仰を背景に持つものと評されている[5]

脚注

参考文献

  • 利賀村史編纂委員会 編『利賀村史2 近世』利賀村、1999年。 
  • 利賀村史編纂委員会 編『利賀村史3 近・現代』利賀村、2004年。 



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