枝末分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 14:48 UTC 版)
教団は更に枝末分裂を繰り返した。 上座部系の代表的な部派は、 説一切有部 - インド最大であった。 経量部(きょうりょうぶ) 化地部(けじぶ) 法蔵部(ほうぞうぶ) 犢子部(とくしぶ) 飲光部(おんこうぶ) 正量部(しょうりょうぶ) などである[要出典]。 分別説部 - スリランカに赤銅鍱部として伝わったが、マハーワンサに途絶えた事が記載されている。 上座部仏教が分別説部の流れを汲む根拠としては、[要出典]マハーワンサの5章に長老がスリランカ王に分別説部の教義を教えると告げる場面の記述が見られる。 上座部系は主として西方・北方インドに広まり、概して有力であった[要出典]。
※この「枝末分裂」の解説は、「上座部」の解説の一部です。
「枝末分裂」を含む「上座部」の記事については、「上座部」の概要を参照ください。
枝末分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 06:13 UTC 版)
その後、100年頃には、北伝所説では20の部派が成立する。これを枝末分裂(しまつぶんれつ)という。 これらの分類には、現在の上座部仏教の源流と考えられている分別説部は含まれない(部派仏教、分別説部)。 これが起きた年代も、大寺派の主張と、有部の主張では異なっており、大寺派の主張であるマハーワンサに従えば、アショーカ王が統治した時代には既に枝末分裂が終わっていた事になる。一方で有部の主張(婆沙論)によれば、アショーカ王時代に、やっと根本分裂が起こった事になる。
※この「枝末分裂」の解説は、「根本分裂」の解説の一部です。
「枝末分裂」を含む「根本分裂」の記事については、「根本分裂」の概要を参照ください。
- 枝末分裂のページへのリンク