東部ポーランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 23:39 UTC 版)
「ソビエト連邦における強制移送」の記事における「東部ポーランド」の解説
1939年のソビエト連邦によるポーランド侵攻により旧ポーランド領の一部がベラルーシSSRとウクライナSSRに併合された。この併合された地域に住む住民145万人が1939年~1941年に強制移住の対象となった。 1940-41年だけで東部ポーランドの住民30万人が極北、シベリアなどへ強制移送させられた。 ポーランドの歴史家で社会学者のTadeusz Piotrowski(英語版)によれば、そのうち63.1%がポーランド人で、7.4%がユダヤ人であったとされる。以前はポーランド人の強制移住による死者は100万人程度と言われていたが、1939年~1945年に強制移送によって亡くなったポーランド人は35万人程度であると推定されている。 同時期に起こったカティンの森事件ではポーランド軍将校ら2万1857人が、NKVDによって虐殺された。ロシア・ソビエトは、西スラヴ民族のポーランド人を貴族(パン)であり、危険で搾取する信用できない隣人とみなしており、ネイマークはこの事件を「20世紀史におけるもっとも明快なジェノサイド事件の一つ」とみなす
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