本祭前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:08 UTC 版)
8月上旬には、大祓使(おおはらえし)を卜定し、左京・右京に1人、五畿内に1人、七道に各1人を差し遣わして祓い、8月下旬にはさらに祓使を差し遣わして祓った。この祓いが済むと、伊勢神宮以下、各国の天神地祇に幣帛を供え、告文(こうもん)を奏じた。 10月下旬、天皇が鴨川に臨んで御禊(ぎょけい)する。この御禊は、江戸時代中期以降になると皇居内の清涼殿で、大正、昭和時には京都御所の小御所で、平成、令和の大嘗祭においては宮殿「竹の間」で行われた。 11月いっぱいは散斎(あらいみ。簡略な物忌。)、本祭の2日前から当日までの3日間は致斎(まいみ。厳重な物忌。)とされ、穢れに触れることを戒めた。悠紀・主基の斎場を設け、それぞれに神供、神酒、調度などを調理製作する諸屋を建てた。竣工すると宮殿に災害がないように祈る大殿祭と、邪神を払うための御門祭が執り行われた。 本祭前日、鎮魂祭(ちんこんさい)を行う。これは、天皇の霊魂が身体から遊離しないように鎮める祭であり、神楽の奉納が行われる。
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